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【おんしゅだしゅだの生みの親】善無畏三蔵とは?空海との関係性も解説

sibatako

弘法大師空海が「師の師」と仰ぎ、日本の真言宗の源流を築いたインドの高僧、善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)。

この記事では善無畏三蔵について誰でも理解できるように詳しく解説しています。

善無畏三蔵の基本情報

引用:Wikipedia

善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)は今から1,300年以上も前に実在した、偉大な高僧のことです。日本の真言宗を開いた弘法大師空海が「師の師」と仰いだ、密教の礎を築いた最重要人物の一人です。

善無畏三蔵の基本情報は以下のとおりです。

善無畏三蔵法師の情報まとめ
  • 本名: シュバカラシンハ (梵: Śubhakarasiṃha)
  • 生没年: 637年 – 735年
  • 出身: 中部インド、摩伽陀国(マガダ国)
  • 称号: 三蔵法師(経・律・論の三蔵に精通した高僧への敬称)
  • 宗派: 真言宗では、教えを伝えた8人の祖師「伝持の八祖」の第五祖

善無畏三蔵の功績

善無畏三蔵が東アジア、日本の仏教に与えた影響は計り知れません。善無畏三蔵の功績は、主に以下の3つに集約されます。

中国密教の礎を築く
善無畏は同時期にインドから渡来した金剛智(こんごうち)、不空(ふくう)とともに、中国に体系的な密教を伝えました。中国では仏教の礎を築いた「三人の祖師」の1人とされています。

密教の根本経典『大日経』の翻訳
善無畏三蔵の最大の功績は、密教の世界観を説く最も重要な経典のである「大日経」を、初めて中国語(漢語)に翻訳したことです。大日経の翻訳がなければ、空海が日本で真言宗を開くことは不可能でした。

皇帝からの厚い信頼
唐の都・長安へ到着した善無畏三蔵は、当時の皇帝・玄宗から国師として迎え入れられ、その活動を支援されました。一国の皇帝から信頼されるほどの、絶大な徳と智慧を善無畏三蔵は備えていたのです。

浄化の真言「おんしゅだしゅだ」の考案者

善無畏三蔵は浄化の真言「おんしゅだしゅだ」の考案者であると伝えられています。

「おんしゅだしゅだ」は善無畏三蔵が中国で密教を広める修行を行う際に、修行者自身の心身を清めるために考案された浄化の真言です。

密教の修行に入る前に修行者が「おんしゅだしゅだ」を唱えることで自らを浄化させていたのです。

善無畏三蔵の波乱に満ちた生涯

善無畏三蔵の生涯を以下のようにまとめました。

  • 約束された王位と国を揺るがす内乱
  • 仏道への劇的な転身
  • 80歳で唐へ

約束された王位と国を揺るがす内乱

善無畏三蔵は7世紀の中部インド・摩伽陀国(マガダこく)に、王族として生を受けました。聡明であった善無畏三蔵は、わずか13歳で王位を継承します。

しかし、善無畏三蔵の兄弟たちが嫉妬から反乱を起こし、国は内戦状態に陥ってしまったのです。善無畏三蔵は自ら軍を率いてこの反乱を見事に平定しますが、勝利の喜びはありませんでした。

戦いの最中で善無畏三蔵が目の当たりにしたのは、人の世の苦しみと、権力の虚しさだけだったのです。

仏道への劇的な転身

内乱の経験が善無畏三蔵の運命を大きく変えます。 国を平定した後、善無畏三蔵は王位を兄に譲り、自らはすべてを捨てて仏門に入ることを決意したのです。

人々が渇望してやまない権力の座を自ら手放し、善無畏三蔵は真理と衆生救済の道へと歩み始めたのです。

出家した善無畏三蔵は当時の仏教研究の最高学府であったナーランダー僧院で密教の奥義を究め、偉大な師となります。

80歳で唐へ

善無畏三蔵は師から「東方の国へ渡り、密教の教えを広めなさい」との使命を受けました。その使命を胸に、善無畏三蔵は遥かなる旅に出ます。

数々の困難を乗り越え、唐の都・長安に到着したのは西暦716年のことです。 当時の善無畏三蔵の年齢は80歳。常人であれば静かに余生を送る年齢で、不屈の精神を持って異国の地にたどり着いたのです。

善無畏三蔵は中国で以下の活動を進めました。

  • 「大日経」の翻訳
  • 密教の儀式と教えの伝授
  • 教えの体系化

中国における密教の基礎を完全に確立した善無畏三蔵は、中国仏教の歴史を大きく変えました。その功績は海を越えて、日本の弘法大師空海へと受け継がれていくことになります。

善無畏三蔵と空海の関係

善無畏三蔵と日本の真言宗を開いた弘法大師空海。この二人が直接会ったことはありませんが、深い関係があると言われています。

空海とは?

空海(弘法大師)とは中国で最新の仏教「密教」を学び、日本で真言宗を開いた偉大な僧侶です。書道や社会事業でも才能を発揮した天才で、1200年以上たった今も「お大師様」として広く慕われています。

善無畏三蔵と空海の関係について以下の内容を解説します。

  • 善無畏三蔵は空海の「師の師」
  • 「大日経」と空海

善無畏三蔵は空海の「師の師」

空海が唐へ渡った後の直接の師匠は恵果和尚(けいかかしょう)という偉大な僧侶でした。恵果和尚が受け継いだ教えの源流を遡っていくと、中国に密教の礎を築いた善無畏三蔵へと行き着きます。

善無畏三蔵は「伝持の八祖(でんじのはっそ)」の第五祖であり、空海にとっては「師の師」にあたる存在となるのです。

「大日経」と空海

若き日の空海は善無畏三蔵が翻訳したとされる「大日経」に出会い深く感銘を受けました。空海はその教えのあまりの深遠さに衝撃を受け「この教えこそが、私が求めていたものだ」と確信します。

しかし、大日経を解説してくれる師は、当時の日本にはいませんでした。

空海は大日経の教えを受けるために唐に渡りました。空海自身が記した書物には、「経典が私に『唐へ渡り、師を求めよ』と語りかけてきた」という趣旨の言葉が残されています。

善無畏三蔵が翻訳した大日経が空海を唐へと導いたのです。

おんしゅだしゅだの正しい唱え方と印の結び方

ここからは善無畏三蔵が考案したとされる「おんしゅだしゅだ」の正しい唱え方と印の結び方について解説します。

解説する内容は以下のとおりです。

  • おんしゅだしゅだの基本的な唱え方
  • おんしゅだしゅだを唱える回数
  • おんしゅだしゅだの効果を高めるタイミング
  • おんしゅだしゅだの印の結び方

おんしゅだしゅだの基本的な唱え方と唱える回数

「おんしゅだしゅだ」は心をこめて丁寧に唱えることが大切です。基本的な唱え方は以下のとおりです。

  1. 消したい・浄化したい「ネガティブな事柄」を特定する
  2. 特定した「ネガティブな事柄」を口に出す
  3. 「おんしゅだしゅだ」と唱える

例えば職場の人間関係で悩んでいるのなら「〇〇さんと話す時のストレスを浄化します」と宣言します。その後負の対象に向けて「おんしゅだしゅだ」を唱えることで、あなたの周囲に付きまとう邪気を浄化します。

おんしゅだしゅだの目的は「自分自身の心を穏やかに保つこと」です。相手を変えることはできない点に注意が必要です。

おんしゅだしゅだを唱える回数

おんしゅだしゅだを唱える回数は3回、7回、21回、108回を目安にすると意識を集中させやすいとされています。基本的には3回唱えることを継続しましょう。

いきなり108回唱えようとしても集中力が続きません。まずは3回を継続できるようにしてください。

「おんしゅだしゅだ」は心の中で唱えるだけでも効果があります。毎日継続して行いましょう。

おんしゅだしゅだの効果を高めるタイミング

「おんしゅだしゅだ」を唱えるタイミングに正確な決まりはありません。

  • ストレスを感じたタイミング
  • 意識が集中できそうなとき
  • 夜寝る前

など、自分の好きなタイミングで実践できます。

個人的には朝と夜の時間帯に唱えることをおすすめします。朝に「おんしゅだしゅだ」を唱えることで心穏やかに1日をスタートさせられます。夜はその日に溜め込んだ心身の疲れやネガティブな感情をリセットし、安らかな眠りにつくことができるでしょう。

ストレスを感じたタイミングで唱えると冷静さを取り戻せます。

おんしゅだしゅだの印の結び方

真言の効果をさらに高めるために「印(いん)」を結ぶという方法があります。印とは、仏の悟りや力を象徴する手の形(印相)のことで、浄化のエネルギーを最大限に引き出すことができます。

「おんしゅだしゅだ」を唱える際は以下の手印と組み合わせてみてください。

  • 合唱(がっしょう)
  • 法界定印(ほうかいじょういん)
  • 金剛合掌(こんごうがっしょう)

自分が集中できる方を選んで試してみましょう。

善無畏三蔵の教えを日常生活で活かそう

この記事では、「おんしゅだしゅだ」の生みの親である善無畏三蔵について解説しました。善無畏三蔵は王子から僧侶へ、そして80歳で唐へ渡り密教の礎を築いた偉大な高僧です。

善無畏三蔵が遺した「おんしゅだしゅだ」の具体的な効果や、浄化の力を最大限に引き出すための正しい唱え方は以下の記事で詳しく解説しています。気になる人はぜひ見ていってください。

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善無畏三蔵の「おんしゅだしゅだ」を実践しています。おんしゅだしゅだは【心のお守り】
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